せっかくの趣味の世界でも、誰にも話しかけてもらえもせず、誰にも無視され、いらぬものとして扱われるのであれば潮時ではあるまいか。最近、そんなふうに感じます。万年筆に対する興味も知識も失ってはいないけれど、私はもう、引退せよと、囁かれているようにしか思えないのです。
話し相手が欲しかった私は、同年代の愛好家が増えることを欲していました。長い付き合いの愛好家諸氏なら、おそらく5年以上前に、私がそう言っていたことが記憶の片隅に残っていらっしゃるかもしれません。その声はしかし、十分に届くものではなく、無視され、挫かれるものに過ぎなかったのです。結局のところ、自分の声は、いなかったも同じ者の声に過ぎなかったのです。最近増えてきた若い方々は、そのことを陽に暗に示してくれています。
自分の求めてきたものは、皮肉にも自分にとって最悪の結果をもたらしました。若い人が増えて欲しいと言って、結局増えたら、私は路傍の石にも満たぬ芥ほどのものに成り下がったのです。誰にも話しかけられず、誰からも相手にされず、仲間はずれの一人です。眩しい光を放つ新しい若手にとって、黒い私は汚れに過ぎないのでしょう。同じようなことをTwitterで呟いても、返ってくるリプライはただbotからだけ。「お前の相手などよく練られたアルゴリズムで十分、こっちには来るな」と眩しい人々に言われているようです。
おそらく、このブログも、誰からもみられることはないでしょう。誰からのコメントもなく、誰からの反応もなく、その他大勢の一つとして、誰の永久欠番になることもなく消えるだけです。人がいるのに孤独である、人ごみの中の孤独は、砂漠や荒野の中一人佇む孤独よりずっと独りです。砂漠や荒野の孤独よりも、もっとずっと気づかれない孤独だと思います。そんな中なら、誰にも気付かれず死ぬことだって、消えてしまうことだって、できるように思います。
遺書を書く万年筆の調整の話がありました。川口さんがセーラー万年筆を引退されるぐらいの頃だったと思います。その時、川口さんは、調整した後に万年筆を私、考えなおすように言ったと聞きます。そして、その人を自殺から救った、と。
それでも私は、遺書を書く万年筆というものがあると感じます。使われてほしくないと願ったとしても、作り手の気持ちを大きく裏切るにしても、それでもやはり現実に、遺書を書く万年筆は存在するのです。
私が、エドソンを始めとする、自分の多くの万年筆を全て裏切る用意ができた時、それが私の趣味と人生の潮時なのだと思います。そして、もうそうすべきだという勧告があちらこちらから聞こえてきています。裏切る決心が出来れば楽なのに…。そんな未練があり、絆(ほだし)に惑わされる自分が、なお辛くてたまりません。
12 件のコメント:
お恥ずかしいですが、このブログにお邪魔するのは初めてかも知れません。最近は歳をとり記憶も曖昧なのですいません。文面からするとどうやらシンドロームに落ちていらっしゃるのかな?私もありましたよ。何事もプラス思考で考えればいろいろ見方も変わる様な気もします。最近はあまり皆さんとも会う機会もなくなりましたが、名古屋へ来た時は良ければお会いしましょう・・夢待ち人
>夢待ち人さん
ブログでははじめまして、そして実際には、長くご無沙汰しております。もう、お会いせず、何年も経ってしまいましたね。
このシンドローム、幾つかは自分が悪い故のことなので、どうしてもプラス思考にはなれません。なれるところをプラスに考えても、どうしても自分の悪いところを意識して、落ち込んでしまいます。
大須の店では若い人達も、万年筆に関係なく楽しく遊んでいます。結局のところ人を変えてくれるのは人だと思います。今までゆっくりお話した事も無かったかも知れませんが、爺さんはしたたかさだけは負けません。どうぞ気が向いたら遊んでやって下さいませ(笑)
>夢待ち人さん
この前からの自分の状況では、行けば却ってつらそうな気がします。悪いのは自分なのですが。
ok,また気が向いたらお会いしましょう・・
吾を苦しめるもわがこころ
吾を救うもまたわがこころ
心あるがゆえに吾尊し
元気出してね(笑)
○○のための萬年筆、ということでいうと、私は、若い友人に手紙を書くときのための萬年筆というものを持っています。
今日は、その萬年筆がまるで走りませんでした。なので、少し休憩です。
車でカーヴを曲がるとき、ハンドルを回そうとしてはダメなのです。曲がろうという気持ちをもってもいけません。ただ、カーヴの出口を見る、見えなければイメージする。そうすることで、美しいラインを描いて車はカーヴを抜けていきますし、車に乗せられている人も気持ちよく過ごせるのです。
私、こういうことに気付いたのが最近のように思います。なので、こら、生意気なこと言うな、もうちょっといろいろやってみてから言わんかい、といいたいです。
>夢待ち人さん
また、そんな機会があれば。
>つきみそう先生
色々やってきたつもりですし、自分の力の範囲でやって、それで今の結果を招いているから、私にはこれ以上やろうとは思えないです。生意気に感じられるのかもしれませんが、やってきたことで、自分より短い人に嫌われるのであれば、やる意味がないと感じます。
初めまして、ichiと申します。時々、貴殿のブログを拝見している一人です。いつもお世話になっておりm(_ _)mます。悲しいかな、小生はROM専でして、どこのサイトを見てもコメントは殆どしない非参加型人間です。貴殿の今回のブログは寂しく思ったので、余計なお世話かもしれませんが老婆心ながらコメントしました。万年筆が趣味という事は共通してます。小生は鹿児島に生息している一匹狼でして、貴殿とは考え方や環境や活動内容が違い過ぎるので上手く言えませんが、マイペースでやっていけば良いのではないでしょうか。ブログも誰かしら読んでいますし、開始年から逆算したら小生のブログより遙かに羨ましいです。また読みに来ますのでボチボチ活動して下さい。今後ともよろしくm(_ _)m致します。
>ichiさん
はじめまして、コメントありがとうございます。
マイペースでやって、その結果として目指しているものから却って遠ざかっている…そんな不安に苛まれることが少なくありません。
萬年筆を含め、どの趣味にも、各々のスタイルがあると思います。私のスタイルは、ただそれを楽しむのではなく、多くの人にそれを知ってもらい、その中で人と出会い、人と楽しむことなのだと思います。自分のスタイルを目標に活動してきて、その活動が自分のスタイルを却って閉ざしているように思えるから、辛いのだと思うんです。
はじめまして。
私もいつもはROMばかりでコメントなどはしないのですが、「若手の万年筆愛好会」がレギュレーション35で西の方であったらしい→自分ももう33歳だから、若手かあ→でも西の方でもう終わってしまったみたいで残念。
というなんとも呑気な感じでリンクをたどってきたところでこの投稿をみて驚いてしまった次第です。私は、愛好家とも呼べないようなキャリアですが、個人的に万年筆という道具がとても好きで、その魅力が確かにもっと多くの方に伝わればとも常感じておりました。
ですから、お志の部分には本当に共感いたします。私などは「そのものをそのものとして楽しむ」方ですが、ほかの方のブログや万年筆の紹介を楽しく拝見しています。
楽しそうに活動する先輩の背中がやはり一番かと。私もまた読みに参ります。
またぜひ更新を期待しております。
>log さん
はじめまして。
楽しそうに活動する背中は一番なのかもしれませんが、それに自分は資していないとあちらこちらから言われているように思う…。それが、私の書いた、潮時、です。
若手の会も含め、潮時って思うこと、少なくありません。
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