2013年6月13日木曜日

返事が嬉しいという話

先日、手紙の返事が返ってきました。大変嬉しくて、早く封を開けたいとそわそわしていました。
手紙やメールが返ってくるというのは、格別嬉しいものなのですが、それはなぜなのだろうか、と考えてみて、ふと思い当たりました。

「有難い」のです。普通の「ありがとう」の意味のありがたさと、古典などの元々の意味である「珍しい」意味のありがたさと、2つのありがたさがあるからなのです。

前者の意味でのありがたさというのは、勿論自分の心が届いたという嬉しさ、相手がそれに答えてくれた嬉しさ、相手がわざわざ時間を割いて返事を出してくれた嬉しさというのが混じったものです。

もうひとつの有難い、つまり珍しいというのは、まさにそのとおり「返事は珍しい」という事です。手紙やメールというのは基本的に鬱陶しいものであり、返事を出すのが億劫なものです。まして、私のように人格に問題がある者に返事を出すのは大変ですから、なおさら返事は珍しいものになります。発言小町などのサイトを読んでいても、やはり返事は珍しいものなのだと思います。

その中でも、とりわけ手紙の返事が手紙で来るというのは嬉しいものです。

手紙を送った時に来るメールの返事は「手紙届いたありがとう」か、あるいは「また手紙書きます」かどちらかに限られます。テンプレートです。おそらく「何も返さないと悪いし…」という気持ちで送ってくれているのだと思いますし、それだけでも嬉しいものです。ただ、お世辞をまともに受けてしまうタイプなので、また書いてしまうのが難点ですが…。(「手紙を書きます」と言って書いてきた人が皆無であることを考えても、社交辞令やお世辞だと思うのですが、やはりまともに受けてまた書いてしまうのは悪い癖なのかもしれません。)

その一方で、手紙は普通、テンプレートに従って書くだけのものはそうありません。色々な話が書かれていて、心から嬉しくなります。メールだと「またいずれ書こう」と思うのが、手紙の返事だと「すぐ返事を書きたい!」と思います。

そんな、2つのありがたさが、手紙での返事の価値を大きく上げていると思います。

だから、返事を書いていなくて、と悩んでいる人に言いたい。そんなの、悩むことじゃない。返さないのが当たり前なのだから。鬱陶しい奴に、受取拒否して返してやるぐらいでいい(実際に何度かそういう目を経験しています)。そうすれば、きっと思い悩まなくてすむようになるだろうし、相手もおそらく二度と手紙を送ってこなくなるはず。それに、手紙やメールを返さないことで、手紙やメールの返事を返す「特殊」な人の「引き立て役」が増えるという効果もあるのだから。

手紙を書くようになって5年。返事がない「標準」と、稀に来る返事のうれしさを知って、私はなお、手紙を書きたくなっています。

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