この前読んだ、吉田篤弘「なにごともなく、晴天」に、次のように書かれています。
「人が進んでどこかへ通うときは、通う理由がふたつ以上あるという事。ひとつでは、自ら通ったりしない。」
実はこれ、人がなにか、継続的に大きな行動をするときにも当てはまるのではないかと、最近思っています。
人のためだけに何かをする、というのは存外難しいものです。それだから「情けは人の為ならず」という言葉があるのかな、と思ったりもします。人のためだけと思ってしまうと、親切しづらくなってしまうから、それはいつか自分に返ってくると思って、それで親切出来るようにする、先人の知恵なのではないでしょうか。
一方、自分のためだけに何かをする、というのは、人にもよるのかも知れませんが、少なくとも私にはとても難しいです。例えば、自分だけが使うプログラムを書くときや、自分だけが飲むお茶を入れる時、自分だけが見るテレビを買う時…よほどこだわらない限り、「まぁいいや」という感情が入ってしまいます。プログラミングの時には少々汚いソースでも、少々変な文法を使っていてもいいかと思ってしまいますし、コメントもあまり書きません。お茶を入れる時、自分だけだったらティーインフューザーや茶こし付きポットでごまかしてしまうこともあります。テレビなんて、小さくて十分って思ってしまいます。
だからでしょうか、何かをやる時には2つ…自分の為と他人の為の、2つの理由がなければ、と思うのです。例えば、知り合いのPCにLinuxをインストールする作業なんてそれです。自分自身が楽しめると言うのもあるし、知り合いのニーズに答えられて、喜んでもらえるわけです。プレゼントをあげるっていうのもそれで、自分がプレゼントを選ぶ楽しみと、もらった人の喜びの顔、両方があって初めて出来るように思います。
自分のためということと、他人のためという事。長く何かを続けたい時には、その2つを意識していけば続くのではないでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿