いろいろな話をきいたり、本を読んだりしているうちに、多くの言葉が心に残ります。その中あで、私がいつも心に留めているものを要約しているのが「自分を安売りしない」という言葉です。
私が私であるが故に、私とは馬が合わないという人がいます。世の中には、そんな人でもうまく歩調を合わせるという人がいますが、私は必要限度以上にそれをする気にはなりません。努力に見合う成果が得られるとも思えませんし、正直媚びているという気さえしてしまいます。自分自身と馬が合うという人、私が私であってもそれを嫌いにならない人とこそつきあおうと思います。「魚心あれば水心」である人は、大変にありがたいです。
なんであっても、上から言われたら実行するという人を聞きますが、これも私にはできないことです。譲れない一線があり、その一線はどうやっても超えさせたくないと常々思います。知り合いの話ですが、ある同僚に村八分をするようにという指令が下ったらしいです。そんな時、それに完全に逆らうことは出来なくても、せめて私は挨拶ぐらいはしたいと思いますし、見えないところで話したりはしたいよな、と思います。意気地なしなので、表立っての行動はできませんが、決して自分を安易に売り渡したくはないのです。
自分を安売りしない。それは私の理念でもある「自分らしく、自分であって、自分を失わないこと」という大きな目標への指針なのだと思っています。
2 件のコメント:
すばらしいと思います。
歳を経るにつれ、その決意が変質してしまう人がいます。たとえば上司の命に従うかどうかについても、自分はそんな卑劣なことやらない、という決意から拒絶していた若い日から、面倒だからというのが根底にあってその上にあれこれもっともらしい理屈を塗り重ねて正当化するというようなことです。
そういう風にはならない人だと信じておりますけれど、一応いっておきたくなるのが年寄りになった証拠でしょうか。
>つきみそう さん
今更ながらのコメント返しですいません。
自分が絶対に譲らない部分って言うのがあって、その部分だけは譲り渡したくないというか、譲ると自分がどうにかなってしまうのではないかという怖さがあります。実際、半分譲りかけるような状況になって、とてもつらい目にあっていましたから…。
その怖さを忘れず、安売りしないようにしたいな、と思います。
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