割とよく「暇そう」とか「余裕がありそう」って言われます。もちろん常に余裕があったりするわけもなく、締め切りに追われていることもしばしばあり、決して暇そうな時が多いわけではありません。「ちょっと勘弁してくれ」と言いたくなるような多忙な時だって当然あるのですが、そんな時でも「暇そう」って言われます。
どうして忙しくてもそう思われないのかな、って考えます。
お茶を飲んだり、軽く話したりして息抜きが出来る時間がなければ、心が先に負けてしまいます。だから、忙しくてもそういう息抜きの時間が出来るように計画を立てます。そして、その計画通りに進めるようにします。幸い、PCで何か書くような仕事が多く、苦にならないぐらいのタイピング速度もありますので、大抵は計画から大きく外れることはありません。結果、息抜きも予定通り取れます。この息抜きの時間があることが原因なのではないだろうか、と思います。
忙しく見せるのが苦手です。自分のやるべき仕事を予定通りに仕上げられるよう、それが自分にとって過度の負担にならないよう、計画を立てている結果、そう見られないのだとしたら、皮肉なことです。忙しいから立てている計画が、忙しく見えないようにしてしまっているのだから。
小学生の頃、"宿題をやってから遊びに行きなさい"という事を言われた人は決して少なくないだろうと思います。私の計画も同じ事で、日々のノルマを定めておき、そのノルマを達成してからリラックスするようにしています。あるいは、大変な時なんかは、区切りを決めておき、一段落する毎にリラックスするとか、終わりの目処がたったら一旦休憩するとかというふうにしています。
お茶を淹れる暇ぐらいならあります。音楽を選ぶ暇ぐらいならあります。でも、それはせいぜい数分の暇にしか過ぎません。忙しい時、部屋を訪ねてきた客人がいたら、お茶だけ淹れて、悪いなと思いながらもパソコンに向かって仕事をしながら話すときもあります。蔑ろに扱っていると言われても文句を返せないような状況です。それでも「忙しそう」と言われることはほとんどありません。
忙しそうに見せられないってのは、相手が控えてくれないってことにつながるので、ちょっと損がめだなって、そう思いつつ、でも、忙しく見せるのが苦手です。
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