電話・メール・チャット・SNS...沢山のコミュニケーションツールがあり、友達とのやり取りがいつでも手軽に出来る現代。手書きの文字は珍しいものになり、手紙を送ると驚かれることも少なくありません。ペーパーレス化が進み、本も電子書籍に取って代わられるのではと危惧される流れに、手紙とはまた古式ゆかしい、あるいはなんと時代遅れのものであろうか…と。
しかし、文具店や雑貨店に行けば沢山の便箋やカードが売られています。観光地のお土産店にはその土地の風景があしらわれたポストカードや一筆箋があり、スーパーにも100円均一にも大抵ちょっとした便箋が置いてあります。もちろん、便箋やポストカードにも期間限定のものや新製品などがあり、眺めているだけでも楽しくなってきます。串田孫一氏の「文房具56話」の中の便箋の項には、次のようにあります:「文房具店へ入ると、便箋を並べてある棚は相変わらずかなりの幅を取ってあるし、あまり実用向きとは思えない種類のものもかなりあるところをみると、郵便物は無味乾燥なものに変わって行くのではないかも知れない。」
その一方、同じ便箋の項で、串田孫一氏は次のようにも述べておられます:「こういう場所に書くべきことではないが、みんな手紙を書かなくなった。(中略)私が今、みんな手紙を書かなくなったというのは、そういう事務的なもの以外の手紙で、心を托したような、しんみりとした手紙を書く人は実に少なくなったという事である。(後略)」
この文章が書かれたのは、もう40年ほど前のことです。その当時には、最初に挙げたコミュニケーションツールのうち、電話以外はなかったはずです。その時代から、私信が少なくなったという声があがっていたというのは、私にとって随分驚くべきことでした。その15年ほど後のラジオ放送で、以前ブログでもとりあげたのですが、年賀状が返ってこない事を気にしている投稿を聞いたからです。だから、串田孫一氏の文章当時はまだ手紙が普通だったのではないかと、そう思っていたのです。下宿生が両親に書く手紙というシチュエーションも、その頃の話だと思っていました。
翻って現代に目を向ければ、串田氏の時代からもっと進んで、私信を受け取ることはほぼ皆無と言って良いような、そんな時代になりました。郵便受けを週に一度もみない人もいると聞いたことがあります。文具店にある沢山の便箋はそれを趣味にする人だけのもの、スーパーや100均は事務用箋で使うもの…。そんなふうに思われているのかもしれません。手紙というのは公のものであって、私的なものではない、と。それを表すかのように、世の中にあふれる「手紙の書きかた」は大抵フォーマルなものです。
そこで今回、手紙愛好家の一人として、フォーマルな手紙ではなく、プライベートな手紙を書くという事に焦点を当てて「趣味の私信」入門を書いてみようと思い、これを書き始めました。「正式な」ことより、手紙を楽しむことに重点をおいて書ければと考えています。
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