「欅通りの人びと」の15章から最後まで読みます。
第15章:双子が生まれて嬉しい夫婦たち、監督をやめさせられそうなサッカーチーム、弁護士の訪ねてきた小田さんの家、の順に場面が移ります。「ぼく、やっぱり、ここがいい。おじいちゃんのそばにいたい」と、「健治くんがそばにいてくれると、おじいちゃんだって嬉しいんだから」に、家族でなくとも家族のような絆が出来ることが伺えます。
…香川さんと夫婦、小田さんと健治くんの絆に、温かさを感じます。この温かさが内海隆一郎の真骨頂であり、感情移入して、はじめて読んだ時にはずいぶんと顔がほころびました。そんな中、厳しい境遇で、それでも子供たちのことを考えて身をひこうとする石山さんは、なかなかに立派な人だと思います。
第16章:石山さんは最後の試合を迎えます。吊し上げを食うような形でやめさせられても、自分の見届けるべきところまでしっかり見届ける姿勢が心に染みます。それでもやっぱりしんどくて、愚痴ってしまう。でも、感謝するべき人は、きちんと感謝を見ているものなのだと言うことが最後にわかります。一方で小田さんは、健治くん引取り承諾の電話を受けます。
…二つの別れが予感される場面です。別れというのはいつも寂しいものですが、その時、感謝、絆といったものがあれば、その別れは寂しいながらあたたかいものになる、それを予感させてくれる章です。いよいよクライマックスを迎えます。
第17章:ついに別れの時がやってきます。「これが小田さんには淋しくてならない。まるで、何かの罰を受けているような気持ちになってくるのである。」という一文に、別れの辛さが集約されていると思います。別れの後、思い出を振り返り、何かなくしたような…。その後の最後の会話、私は涙なしには読めませんでした。何処にでもあるお涙頂戴というような話なのですが…。
…震えずには読めない章です。「欅通りの人びと」という作品は、いくつもの温かさと問題提起をして、そしてここに至りますが、この章はそれまでの温かさの総決算とでも言うような章です。別れにあたって、小田さんは何をしたか、健治くんはそれをどう受け止めたか。日常かもしれませんし、探せば見つかるであろうケースかもしれません。でも、それを改めて見つめる時、感涙を禁じえない、そんな場面だと思います。
第18章:もうひとつ、香川さんと、ルミ・キヨシ夫妻にも別れがやってきます。香川さんは、最後に乳母車をプレゼントしようと思うのですが、双子用は高くて手がでません。そこで思いついたのが、小田さんに作ってもらうことでした。予約を入れて、それを楽しみにして、香川さんは満足します。その傍らで、小田さんは欅に話しかけています。
…もうひとつの別れ、こちらは先の章に比べると軽い、プレゼントを中心としたかかれ方をしています。それ故か、先の章の涙に対し、こちらはその後に吹き抜ける風のような、日常へ戻っていく感覚です。日常にいたはずなのに日常に戻る、この不思議さが面白いところです。最後に欅が描写されて、この物語は幕を閉じます。この物語、本当は、欅が見つめて書いた物語なのかもしれません。
[全体を通じて]
あらすじと感想で書いてきましたが、内海隆一郎氏の「ハートウォーミング」手法がよく取り入れられた長編だと思います。心温まりたい人、突飛な冒険ものでなく、ふと落ちついて本を読みたい人などに、まずはとおすすめできます。
内海隆一郎氏は欅の作家と言われますが、なぜ欅なのかは、この本を読めばなんとなくわかります。ゆっくり読んでいって、17章で涙してください。この本の「ハートウォーミング」は、各章で小出しにされていますが、やはり17章に集約されています。この温かい涙こそ、内海隆一郎氏のカラーであり、私が氏の本を好きな理由です。
ふっと一息、そんな折に読んでみるのに、面白い本だと思いました。
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