2011年8月8日月曜日

中島みゆきの歌詞 私の解釈 その第2回「あたいの夏休み」

中島みゆきは、自分の歌詞の解釈を聞き手に任せます。それは、私にとって嬉しいことであり、私もその精神に則って、自分なりの解釈をしていこうと思います。

解釈は人によっても異なりますが、時によって異なり、心によって異なり、状況によって異なるものであると思います。同じ曲を複数回出すこともあるかも知れませんが、それは状況や時が変えたということと考えてください。

夏特集の第2回は「あたいの夏休み」です。
歌詞はこちら
この曲は"御乱心時代"の名盤「36.5℃」…これは体温を示すのですが…の1番です。シングルにも出ています。よく聞き比べると、シングルバージョンとアルバムバージョンの違いがありますが、歌詞に焦点を当てますので、ここでは無視します。体温、それも平熱の体温を示す36.5℃と、夏休み。平熱の夏休みとはどんなものなのでしょうか。ちなみに、アルバムの解説は、「中島みゆきの初期」に詳しいです。

「中島みゆきの歌と共に生きてきた」の記事にもありますが、難解な歌詞です。ですが、平熱のあたしの夏休み、ということを考えていくうちに、一つの解釈を出来るように感じました。

あたいの夏休み、ここに書かれているのは、自分にとってあくまで普段の夏休みなのです。忙しい働き人が、お金を貯めてやっと3日間、ちょっとしたー多分粗末なのでしょうー別荘を借りて泊まるような、それがあたいの普段どおりの夏休みなんだ、と。

普段どおりの夏休みを過ごす様子が、1番・2番と書かれている。その合間合間に、サビで叫ばれる「あたいのために夏翻れ」。普段どおりの中に、普段と違う何かを期待しているような、普段の夏休みではなく、普段と違う夏休みを送りたいという気持ちが描かれている。

そして続く3番、普段との違いが書かれます。自分用ではない、なにか帰るものを手にした夏休みなのではないかと思います。夏が来るたび、ドレスが古くなることは悲しい、カレーが続くことも悲しい。でも、一人泣きするぐらいなら、それぐらいの悲しさはどうだっていいんだ。そんな気持ちで「きっと勝ってる夏休み」なのでしょう。

そうしてもう一度叫ばれる「あたいのために夏翻れ」、これは自体がさらに好転することを祈っているのではないでしょうか。

平熱の夏休みでも、小さな違いがある。その夏休みに「あたいのために夏翻れ」と叫ぶことで、普段どおりの夏休みの、それでいて、実は普段どおりでない顔を描いているのではないかと思います。

夏休みは、特別なことが出来る休みなんですよ。小学校の頃によく言われたこのことばをもう一度思い出しました。


※ この解釈は、あくまで私の一解釈であり、正しい・誤りであるというのを書くものではありません。一つの見方として受け取っていただければ幸いです。

※ 扱って欲しい曲がありましたら、コメントでお書きください。

※ 他の解釈が載っているサイト、もしくは自分なりの解釈がありましたら、コメントでお書きください。

2 件のコメント:

つきみそう さんのコメント...

 歌ってる「あたい」自身、チンピラにぶら下がって歩いてる付け焼き刃レディなんでしょうし、貸別荘どころか2段ベッドの安ペンションで冷めたスープですから、都心でホテルステイしてる方がよっぽど優雅ですよね。

 でも、「あたい」は、そこらへんの付け焼き刃レディたちと根が同じと認識しつつも、どこかで、あいつ等とは違う、と思いたいし、思っているんです。コースターを贈る相手は、あんなチンピラとはちがう、んですよ。

 こうやってささやかな幸せでいろんなことをリセットできる人がいっぱいいるから、日本は平和だし、経済も発展したし、政治が世の中をどんどん悪くしても誰も暴動起こさないんですね。

達哉ん/Tatuyan さんのコメント...

>つきみそうさん
ありがとうございます。
多分、都心のホテルステイのほうが優雅でしょうね〜。
でも、あたいは違うっていう、その心が大切なんだと思います。