2010年12月9日木曜日

「忙しい」が「心を亡くす」こと

そのことは間違いないことだと思うのですが、忙しいということは確かに心を亡くします。ものすごく忙しい、というときは、先ず間違い無く字も返答も乱雑です。

あれもしないと、これもしないと、と思っているときに数値計算の質問やプログラミングの質問がやってきてもまともに答えられるはずもなく、非常にぶっきらぼうな返事で返してしまいます。「あそこをああしたらええやんか!」という感じで返答してしまいます。色々な字がある中で、この字は実に良く考えて作られた字であると思います。

忙しいからと言って心をないがしろにすることがいいことのはずがありません。忙しい忙しいという中で、必ず一息付いている暇がなければ、心そのものが本当の意味でなくなってしまいます。つまり、忙しいからと自分のことばかりに集中していては、感動する心や、友人を大切にする心をなくしてしまいます。また、一般に「心ある行動」と呼ばれる行動をとることもなくなります。忙しい忙しいといつもそればかりに集中していては、心を本当に失ってしまうと、ここ最近の忙しさに思いました。

忙しい時だからこそ、メリハリをつけて休むことができる時間を取らなければならないと思います。そうしなければ、ほんとうの意味で心ある人間でなくなってしまうから。三木清は、著書「人生論ノート」の中で「幸福とは人格である」と述べていますが、人格は心なくば身につくものではありません。

私の好きな中島みゆきさんは「命の別名」の中で「命につく名前を心と呼ぶ」と言っていますが、それを考えれば忙しいということは、命を亡くす、つまり死ぬということを意味します。忙しいという仮死状態を自分の中で維持することは自分にとっていいことであるとは感じません。忙しいと言うのは仮死状態である、そのことを理解した上で、忙しさにかまけることなく、休む時間を取りたいと思います。

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