差別をするというのはみっともないということですが、しかしながら、差別そのものにはパラドックスがあるということを考えます。なお、ここでは「差別」を、新明解国語辞典に書いてある意味のうち「(社会的な偏見に基づいて)弱い立場にある(何らかの不利な条件を負っている)人に対して、不当に低い待遇を強いたり、侮蔑的な扱いをしたり、すること」の意味で用います。
内容に入る前にはっきりさせておきたいのは、私は「差別をしても良い」と以下の文章で表明したいのではなく、「差別はするべきではないが、容易に「差別をしない」と言えるものではないから、注意深く行動すべきである」ということです。
差別をするのは良くない、という意見があります。これについて完全に否定する人はそう多くはいないと思うのですが、ここには社会的な偏見が既に含まれているように思います。
「差別は良くない」 という偏見です。
「差別は良くない」として、差別する人を敬遠しては結局のところ差別になっている。つまり、「差別は良くない」との主張は「差別をするのは悪だ」という偏見であり「差別をする立場」を差別している、ということになります。つまるところ「差別は良くない」ということがそもそも差別だ、という意見になってしまうのです。
そうすると、「差別」とは一体なんなのだ、「偏見」とは一体なんなのだ、ということになってしまいます。
偏見というのが社会全体に深く浸透していれば、それは差別と感じられなくなってしまいます。
文化部についての差別、と言って幾人がそれをわかるでしょうか?
公務員叩きは差別でしょうか?
そういった問いかけをやっていくと、差別というものの根底たる観念があやふやになってしまいます。
結局のところ、差別は多数決の原理にしか過ぎない。しかし、多数決の原理は同時に危ういのです。多数が常に最良を決定するわけではないからです。ものすごくつまらない例で言えば競馬ですし、極めて重要な例で言えば個人情報保護法です。前者は、一番人気が勝つとは限りません(だから面白いのですが)。後者は、多数が良いと思って導入したものの、「クラス名簿が作れない」などといった声もあり、最良の形であったとは言い難いようです。
差別の根底が多数決の原理にある偏見であるとするならば、我々は何を持って差別をしないと言えるのでしょうか。差別をしない人間とは、一体どのような人間なのでしょうか。
私は、差別をしない人間ではありません。以下のようなことを考えていますが、さて、これらは差別なのでしょうか。意見を伺えれば幸いです。
・自殺をするほどの苦しい思いをしている人は体の面からは生きられても心の面からは既に生きられない状況にあると考えて良いだろう。そのような人に対して「自殺をするのは最低の人間だ」というような人は、それこそひどい人間ではないだろうか。
・未成年飲酒をして、あるいはさせている人間は法の遵守という面で大切な点を抜かしていて、その点において自分を甘やかしているのではないか。
・自分より立場の弱い人に対して立場を利用して無理を押し付けるような人は、立場の弱い人への人権という観点での配慮に欠けたるところがあるのではないか。
私の考えが差別かどうか、そして、差別あるいは差別でない根拠は何かと考えると、自分ではもう「差別」というものについての実像がつかめなくなってきました。
2 件のコメント:
難しいですよね「差別」って。
私が現在研究テーマとして取り組んでいるものの一つが、正にこの「差別」です。比較法研究が欠かせない分野なので、他国との比較をよくやりますが、「差別」という同じ言葉を使っているのに概念がかなり違っていたりしてかなり手を焼いています。ある程度の定義付けがされている国レベルでこの体たらくですから、個人レベルにまで降りてきたら正に千差万別で、思考の迷路から出てこれなくなりそうです。
記事を読んで一つ気になったことあります。それは、倫理・道徳レベルの思考と法規範レベルの思考を混合しているようにうかがえたことです。
例えば、インドなどで問題となっている名誉殺人(下位カーストの男性と付き合った娘を家名を汚したという理由で殺害することなど)は倫理的には問題ありませんが、法的には単なる殺人です。また、ヒンズー教徒の人が牛肉を食べる行為は倫理的な問題がありますが、法的には問題ありません。
このように、倫理・法規範は場合によってはかなり違うものなので、倫理レベルで考えるのか、それとも法規範レベルで考えるのか、ここを意識して区別しないと(区別できなさそうにも見えますが)、考えがまとまらず余計に混乱してしまうと思います。あと、概念的には別のものを「差別」という単語でひとくくりにしていることも混乱の原因になっているように見えるので、そのへんの区別も意識された方が良いかと思います。難しいですけれどね(゚ー゚*)
余裕があるなら、大学の講義で法理学とか法哲学といった授業(開講されていればですが)を履修してみると面白いですよ。法律が倫理や道徳といったものをどのように評価し、取り込もうとしているかが学べます。たぶん。
>チェリー さん
ありがとうございます。
私はあまりその方面には強くなく、単に個人レベルでの意見を述べただけですので、あまり内容がまとまったものでもなく、また知見も狭いものかと思います。
インドでの話は随分驚きました。倫理レベルか、法規範レベルかというのはたしかに悩ましい問題ではないでしょうか。法規範自体が倫理に影響を及ぼしている場合もあるかと思うので・・・。
私の通っている大学は小さな大学で、法理学や法哲学はありませんが、なにかのおり、学んでみたいと思います。
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