実は8月の中旬からここまで、ほとんどずっと予定稿です。テストやらなんやらで、鮮度ある投稿というのは殆どありません。とれたてピチピチの、鮮度の良い投稿は、多分明日から再開できると思います。予定高というのは便利で、思い立ったときにどんどん書く事ができますから、ついつい書いてしまうのですが、それだけでいいというものではありませんよね。
それではその間に何をしていたのか、というと、ほとんどは勉学に時間を費やしておりました。テストの真っ最中というのもありますし、何より、テストの不安は眠る時間を減らしてくれますから、勉強するかきちんと眠るかが重要な課題となったのです。ただ、そんなテストの時期に入る前に、帰省の時の手紙を書いて送りました。
ここ2年、「一日一通の手紙を」と思っています。これはあくまで平均すればの話ですが、平均して一日一通は手紙を書こうと。実際にカウントしたわけではありませんが、折々に出す手紙は100通以上になりますから、きっと達成してるのでは?という次第です。しかしながら、実際にそれを数えたわけでもないですので、本当に達成しているかどうかわかりませんでした。ところが、この9月から、自分がいつ誰にどんな手紙を出したか忘れてしまって、短い期間に同じ人には2回出すのに他の人は無視しているという状況が起こっているのを防ごうと考えたことから、手紙ノートをつけることとしました。これによると、私は 9月に22通の手紙を出しています。年賀状が100通強加わることを考えると、私は9月以降(平均として)一日一通を無事に達成できることとなります。お、なかなかじゃないかと思うと同時に、真の「一日一通」を来年は実践したいと今から考えています。
手紙を毎日出すことはブログを毎日書く事と似ています。手紙をある折々に一気に出すことは、ブログを予定稿で書いておくことに似ています。ある意味で私は、手紙も「予定稿」でしのいでいるのです。厳しいかもしれないけど、「予定稿」なしでブログも手紙も出来れば…というのが理想です。
そんな手紙ですが、最近は二つの意味で、届いているかどうか気にするようになりました。一つは、物理的に届いているかどうかということ。出したはずの手紙が残念ながら届いていなかった、というのが暑中見舞いの時に2通ほどありました。私のミスなのかもしれませんが、無事届いていなかったのは残念でした。もうひとつは心理的な意味で、私が手紙を書いて出しているというその思いが相手に届いているか、ということ。私の好きな中島みゆきの歌の一つに「I love you,答えてくれ」というのがありますが、その心境です。「愛さずにいられない馬鹿もいる、気にしないで受取ればいいんだよ、愛さずにいられない馬鹿もいる、受け取ったと答えて欲しいだけさ」…その心境でしょうか。愛さずに、手紙を送らずにいられないバカもいる、それが私です。そんな私の手紙、躊躇せずに受け取ってもらえればいいですし、それに対して、「受け取ったぜ、元気だぜ」と答えて欲しいだけなのです。手紙を出して、ただそれが受け取ってもらえるという幸せがあります。勿論、その心のこもった返事は受け取ったというだけの返事よりも印象深いですが、しかしながら、受け取ったと答えてもらうだけでも、随分うれしいものです。
2つの意味で、私の帰省の手紙は届いているのだろうか、と考えると、届いていないのがほとんどのようです。物理的には届いているかもしれませんが、心理的には届いていない。あるいは、そもそも物理的に届いていない。ごく一部の手紙を除いては、受け取ったの返事もないのですから、私の気持ちが伝わっていないのだろうと寂しく思います。
2つの意味で、自分の手紙は本当に届いているのか…。折節に出す手紙は別として、それ以外の手紙は、受け取ったと答えてすらもらえないところを見ると、まだまだ私には「届く手紙」の技術が不足しているようです。それは、手紙の書き方文例集に載っているようなものではなく、自分らしく、相手が読んで私のことを思い出してくれて、「受け取ったよ、ありがとう」のメールをくれるような文章を創意工夫せねばならないということです。
結局手紙は届いたのか…正直に言えば、届いていないのでしょう。私が手紙を送った多くの人にとって、私の手紙は心に届くものではなく、ダイレクトメールに毛の生えた程度のものでしかないのでしょう。肉筆は心に届くといいますが、「I love you,答えてくれ!」という悲痛な叫びの中で、単なる肉筆は心には届いていないのだと思います。「受け取った」と答えてくれるだけの手紙を書けるようになるのは、いったいいつのことなのでしょうか。それとも、受け取ったという返事すら出さないような「人間のロボット化」が、もう個人の努力では克服できないほどに進んでしまっている、そんな手紙相手ばかりになってしまったということなのでしょうか。
2 件のコメント:
手紙を出すのって,勇気が要りますね。たとえそれがラヴレターでなくても、です。
文字だけで真意を伝えることは難しいのに、手紙というのは手を離れたら最後、あとは先方におまかせ、ですから。返事がないとき、相手が忙しいのか、相手に何かあったのか、はたまた手紙の内容で相手の不興をかったのか、などなど、いろいろと考えてしまいますね。
かくいう私も、いただきながらお返事を出さずに、ずるずると日を過ごしてしまう、という失礼な輩なのですが。
つきみそう さん
いえいえ、いつも気にかけていただいてありがとうございます。コメント等寄せていただいており、手紙も無事届いているだろうと思っております。
>返事がないとき、相手が忙しいのか、相手に何かあったのか、はたまた手紙の内容で相手の不興をかったのか
というのはいつもあることで、そういう意味で、相手に返事をしてもらえる状況なのかもわかりませんし、相手が返事を書きたくないのかどうかもわかりません。
手紙を送って、先日「物理的な意味で」届かなかったから、最近は前よりも心配になってしまいました。だからこそ、返事を書いてもらえるぐらいの内容の手紙を遅れればいいんだろうな・・・という次第です。
私の中国語のテキストに「たとえどんなに忙しくても手紙をかく時間はあるでしょう。」という例文がありますが、もしこれが真ならば、私の手紙は何らかの返事を返す価値もないものなのだなぁという気がします。
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