万年筆の布教にあたって重要な、「調整はどの程度行えばいいか」について記します。
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現在の万年筆愛好者にとって調整の利用はそれほど特殊なことではない。一本のペンを愛用し続けてペン先が紙によって僅かずつ擦れていき自然とスイートスポットが…というような現象を味わう人もいるだろうが、少なくとも、調整という発想を特別なことと捉える人はいないのではないだろうか。この調整だが、調整も万年筆布教論で重要な位置を占めるものである。調整販売の店の場合はなおさらである。ここでは、布教者としての調整の立会い方と、調整はどの程度行うべきかということについて記す。布教者=調整者の場合にも応用がきく。
まず、調整を行うべきかどうかという点についてだが、これは呼び水のペン、購入ペンを問わず行ってよいだろう。但し、生贄のような楽しみ方はせず「万人受けするペン先」にしておくのが望ましい。できれば「本来出荷時にはこうあるべき、あって欲しい形」にしておく。検品されていた頃の万年筆のように、どれをとっても書き味よく、誰が書いても書き味よく、という調整を心がけたい。これは、書きぐせがまださだまっていないことに由来する。
万年筆を使い始める人、あるいは使い始めて長くない人は書きぐせが安定しない。半月で80度から60度に変わった、というような事例もある。そこで、書きぐせが変化したとしても書きやすさを保証するようなペン先とし、書きぐせが定まってくるまではどのように書いても大丈夫なようにしておくのが良いのである。この過程で、万年筆使用者は自分にぴったり合う筆記角度を模索する。
この状態のまま使い続ければ安定してくるので、安定した後はその人に完全にあわせてしまってもよいだろう。だが、初期段階では「一箇所の満点より多数の高得点」を旨として調整したい。書きぐせが定まるまではそのようにしたいし、極論、はじめのペン先の状態さえよければあえて手を加えず、完全に筆記のみで調整してしまってもいい(勿論時間はかかるが)。僅かながら、しかし確実に、手になじんでいく感触は、マニアに限らず感じ取ることのできるものである。
このような調整をお願いした上で、布教者は何を言うべきかといえば「書いていてストレスに感じる部分はないか」ということである。通常の試し書きをしてもらい、それでストレスに感じるような部分がなく、手が疲れない事。それ以上の書き味の評価などは求めても無意味である(それだけの評価基準がないことは先述したとおりである)。とにかく、自分の筆記に置いて一切のストレスがないこと。「良い」のではなく「及第」であるのを目指す。ストレスがない、というのは非常に重要なファクターであり、これは「マイナスではない」ということのみを示すのであって、プラスであるかどうかは気にしていないのである。プラスについては無視し、徹底的にマイナスをなくしてしまう、そんな調整を促すように超えかけをせねばならない。その分かりやすい最たる例が「ストレスなくかけるか?」なのである。
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pen and message店主氏とも同様な話をしたものをまとめました。
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