私にとっての「祭り」が一昨日・昨日で終わりました。多くの、自分の仲の良い人々が集まっての「祭り」で、この帰省で最高の思い出の一つであることは疑いありません。
家路につき、皆と別れ、最後にひとりになったとき、疲れた身を、泣き出しそうなほどの寂しさが貫きました。祭りのあとの寂しさはどんな祭りでもそうですが、自分が一番期待していて、最も楽しんだ祭りだからこそ、突き刺さるような寂しさを感じたのだと思います。
もうこれだけ楽しんだんだからこの世への未練はない、とまで思うほど、その落差は大きいものでした。けれども、その時に、ふと、祭りの時の友人たちの声が聞こえたような気がしました。
空耳に間違いないのですが、祭りのあとの寂しさに、ふと、その祭りがどれだけ楽しかったのかを感じさせてくれた空耳でした。
祭りのあとの寂しさは心を貫きます。けれども、その淋しさがあるから、祭りの楽しさが引き立つのだ、とも思いました。
最高の「祭り」が幕を閉じたのは本当に残念で、いつまでもいつまでもその中に居たかったのですが、ずっと祭りを続けるわけには行きません。また来年、こんな祭りがあるのだから、
「つかの間 人を信じたら もう半年頑張れる」
半年は無理かもしれないけれど、もう少し頑張ろう、とそうおもうことができました。
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