OSというのは基本ソフトウェアと呼ばれるソフトウェアで、単純にいえばパソコンのシステム部分を司るソフト群です。
一般に最も使われるOSとしてWindowsがあり、Mac,Linux,BSD,Tron,Soralisなどもありますが、これらを使うためには、大きく分けて次の3種類の方法があります。
1.余っているパソコンなどを専用機として使う
2.マルチブートにより一つのパソコンの起動時にOSを選ぶようにする
3.現在使用しているOSに仮想マシンとして追加する
OSを変えるというのは1に、追加するというのは2,3に当てはまります。
1はパソコンが必要ですが、専用機になるので使い分けは便利だと思います。ただし、資源は結構なものが必要です。切替器などがあったほうが便利かもしれません。
2は一つのパソコンを使い回せますが、切り替えのためには一々再起動する必要があります。一度に使わなくていいならば楽ですが、一度に使う場合はおすすめできません。
3は一度に使える上にパソコンも一台で足りますが、大きくメモリを食います。どんなに悪くとも2GBはないと苦しいのではないでしょうか。CPUもそれなりに早くないとストレスばかりがたまります。
下のほうがお試し向けですので、Ubuntuがどんな感じかを2,3の方法で試してみるのもいいかもしれません。
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次回は3/12、副題「Ubuntuのインストール(専用PC編)」といたしまして、Ubuntu専用機を作る方法を紹介します。
2011年3月9日水曜日
遠くの親戚より近くの他人、私には嘘だ
遠くの親戚より近くの他人、ということわざがありますが、私には正直、しっくりこないものです。
私にとっての他人というのは年齢的にも、あるいは物理的な距離的にも、遠い方の人が、よほど頼りになります。近い人ほど、自分のことをうとみ、鬱陶しいと感じ、あるいは老けていると感じ、避けられているように思います。うるさ型の人間、親にまで「おっさん」と言われるような人間、産まれた1989年よりも前の曲が好きな人間で、同年代の人から共感をえられることは少ないのです。このブログを始め、色々と書いている文章も「年齢層が高めで、同年代の人に向けているとは思えない」と言われます。
その事が結局乖離を生み出していて、私には、周囲の、同年代の他人より、年齢も住んでいる場所も全く違う、遠い他人の方がずっと救いになります。うるさ型だから近くにいるほど避けたくなるのでしょう、遠くにいる友人の方が、同年代であっても、ずっと頼りやすい。私がベッドの中で何らかの急死を遂げたとしても、近くの友人に気づいてもらえるとは思えません。
遠くの親戚は、遠くの他人に比べてactionを起こしやすいですから、その点で、遠くの他人よりは遠くの親戚の方が頼れると思います。そうすると、近くの他人より遠くの他人、遠くの他人より遠くの親戚となり、縮めて「近くの他人より遠くの親戚」となります。
私の考えはがんこで硬くて、古いのかもしれません。そして、それがあるから、年齢的・距離的に遠いほうがよほど頼りになる。私の中で「遠くの親戚より近くの他人」は、賛同しかねるものとなっています。
もし私が、「近頃の若者は…」と言われるような、"典型的若者"だったなら、近くの他人の方がよかったのかもしれないと思います。
2011年3月8日火曜日
ないことの平和
それは違うと言われるでしょうが、「戦争のない世界に!」という意見の一つの答えは「戦争の原因となっている人間がいなくなればよい」ということです。ある問題をなくすためには、その問題を含むより広範な原因を排除してしまえば、もろともなくなってしまいます。
借金の問題をなくすためには、そもそも金がなければいい。
捕鯨の問題をなくすためには、そもそも鯨がいなければいい。
飲酒の問題をなくすためには、そもそも酒がなければいい。
いずれも極論であり、賛同されることはさぞ少ないのでしょうが、それら現状で直面している問題がなくなるということだけは間違いありません。別の問題が出るかもしれないことはさておき、ひとまず「やらなければ」平和です。それによってえられる平和が、本当に価値ある平和かどうかはわかりませんが。
いくつかのチームで、企画を立てることがあります。これはチームの他の人のためというよりも、楽しむためという方が大きいのですが、それを見ていて、最近、私ばかりがそれをやっているということに気づきました。そして、その協力もあまりなく、問題やいさかいも起こっている現状に。
それら企画の原動力になっているのは私です。なら、私がやらなければ、私がそういうチームの人と仲良くしようと思わなければ、そういうチームの人など無視できるというぐらいに孤独に生きられれば、もっと言えば、私という存在そのものがなければ、そのチームの人は平和だったのではないだろうかと思います。企画も何もない、親交もない平和を手に出来ていたのではないかと。いや、そもそもそのチームを作ろうといったのも私ですから、私がいなかったとしたら、あるいは私がそういうチームを作ろうという気さえ起こさなければ、そもそも無関心だから、何も起こらなかったのではないでしょうか。
それは、友人関係にも言えることです。自分から誘わなければ、殆ど誘いのこない自分だから、それだったらいっそ自分が誘わなければ、その友人は私など忘れて、ずっと平和に居られるのではないかと思うのです。私が孤独でいられれば、いや、私が非存在であれば、多くの人はもっと平和だったのではないかと。
こんなことかいたって、私のブログに来てくれている人の多くは万年筆の世界の人たちだから、それ以外の友人で気づく人は少数だろう、と思います。それなら私は何か行動をすべきなのかもしれませんが、それも結局向こうには迷惑なのではないかと。
友人に言わせれば「誰もお前の文章なんて読まない」ということなのかもしれません。それだったら、私、文章書いたって意味がない。昔、メールマガジンをやっていましたが、読んでくれている人なんてほとんどいなかった。ただ鬱陶しいと言われただけだった。それなら、私が友人になにか話しかけようという気さえなければ、孤独でさえあれば、非存在でさえあれば、平和になるのではないかと思うのです。
私が話しかけることによる迷惑は、私が話そうという気を起こさなければいい。
そもそも私がいなければいい。それは最大の平和だから。
そこに待つ平和が、友人にとって「ないことの平和」なのか、本当の意味の平穏なのか、私にはわかりません。でも、後者の平穏の人ばかりというならば、私が存在して、私が友人に話しかけていることに、何の意味がありましょうか。
卒業への万年筆(2)〜シリーズ・新ステージへの万年筆〜
卒業に際して、最もよく贈られる花束は、言葉の花束ではないでしょうか。私もまた、非常に多くの言葉の花束を頂いて、卒業を経験してきました。
そんな、言葉の花束という意味での、ソネットを。今回は、「ソネット」です。
(こちらの写真はpen and message(https://www.p-n-m.net/contents/products/FP0016.html)より転載させていただきました。ソネットは写真左側です。)
ソネットは私が万年筆の世界に入った5年前にもあった、パーカーの定番モデルです。この定番モデルは、私の友人の幾人かも持っていますが、比較的柔らかい書き味で、まさしく「歌うように書く」ことができるペンであると思います。詩に込められる言葉は深く、それは言葉の花束を象徴していると思います。
ソネット、14行詩。それに込められる思いを、言葉の花束と共に受け取って、卒業への万年筆に。そういう意見から、私はパーカー、ソネットを推薦いたします。
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次回は3月11日、卒業への万年筆(3)というタイトルでお送りします。
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第1回:卒業への万年筆(1) シェーファー レガシーヘリテージ
そんな、言葉の花束という意味での、ソネットを。今回は、「ソネット」です。
(こちらの写真はpen and message(https://www.p-n-m.net/contents/products/FP0016.html)より転載させていただきました。ソネットは写真左側です。)
ソネットは私が万年筆の世界に入った5年前にもあった、パーカーの定番モデルです。この定番モデルは、私の友人の幾人かも持っていますが、比較的柔らかい書き味で、まさしく「歌うように書く」ことができるペンであると思います。詩に込められる言葉は深く、それは言葉の花束を象徴していると思います。
ソネット、14行詩。それに込められる思いを、言葉の花束と共に受け取って、卒業への万年筆に。そういう意見から、私はパーカー、ソネットを推薦いたします。
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次回は3月11日、卒業への万年筆(3)というタイトルでお送りします。
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第1回:卒業への万年筆(1) シェーファー レガシーヘリテージ
2011年3月7日月曜日
新生活はUbuntu Linuxで!〜第2回・UbuntuでできないWindows〜
前回はコチラ
今回はWindowsの必要性について、Windows推薦の立場から書いていきたいと思います。
世の中のデファクトスタンダードがWindowsなのは誰がなんと言おうと間違いありません。この状態ですから、「多数に属していたほうが聞きやすい、自分で情報を集める手間がない」というのであればWindowsの方が楽でしょう。入門書の数も多くありますから、情報を集めるのは非常に手軽ですし、世のソフト・ハードの多くはWindows標準対応です。初心者にすごく優しい仕様で、さすが万単位のお金をとるだけある、と思います。
この他、ゲームができる点も捨て難いですし、ゲーム以外にも動くソフトが多数あるのはWindowsの利点です。Windowsでしか動かせず、Wine等を利用して使うのは怖いというようなソフトがある場合は、Windowsにすれば良いと思います。
また、互換性などで、他の人がWindows専用のファイルを出してくる可能性があります。C#のプログラムやマクロの含まれるOfficeファイルを使う場合は、世の人の多くに従い、Windowsを使わないと困ったことになります。
私がWindowsを推挙するのは、大きく言って、次の3点に尽きます。
1.初心者にやさしい設計で、パソコンに関してお金はいくらかかってもいいから苦労はしたくないという場合
2.ゲーム等、Windowsでしか動かないソフトを使う場合
3.世の人の多くがWindowsを使っているから、そうでないと困るという場合
私個人の場合、Windows7を入れていますが、1,3の理由には全く当てはまりません。C#どころかC++やJAVAのプログラムだって持ってくる人はいませんし(JAVAは少しぐらいいるか)、マクロ付きOfficeファイルなど、自分が仕事でつかって他の人に送ることこそあれど、他の人からいただくことはまずありません。ゲームを少々するためだけにWin7を入れていて、正直もったいないところです。
しかし、C#で普段プログラムを組んでいる人もいるでしょうから、そういう人にはWindowsが必要です。
正直なことを言うと、Windowsは肥大し、プログラミングやシステムいじりをしない人には親しみやすい一方で、システムいじりをする人には面倒なシステムになっていると思います。Windowsの目指す方向を考えればそうなっていて然るべきですが、1万円以上のお金をかけてそこまで欲しいか、というのが正直なところです。
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次回は3/9、副題「OSを変える/追加するとは」といたしまして、OSの基本的な部分について説明します。
今回はWindowsの必要性について、Windows推薦の立場から書いていきたいと思います。
世の中のデファクトスタンダードがWindowsなのは誰がなんと言おうと間違いありません。この状態ですから、「多数に属していたほうが聞きやすい、自分で情報を集める手間がない」というのであればWindowsの方が楽でしょう。入門書の数も多くありますから、情報を集めるのは非常に手軽ですし、世のソフト・ハードの多くはWindows標準対応です。初心者にすごく優しい仕様で、さすが万単位のお金をとるだけある、と思います。
この他、ゲームができる点も捨て難いですし、ゲーム以外にも動くソフトが多数あるのはWindowsの利点です。Windowsでしか動かせず、Wine等を利用して使うのは怖いというようなソフトがある場合は、Windowsにすれば良いと思います。
また、互換性などで、他の人がWindows専用のファイルを出してくる可能性があります。C#のプログラムやマクロの含まれるOfficeファイルを使う場合は、世の人の多くに従い、Windowsを使わないと困ったことになります。
私がWindowsを推挙するのは、大きく言って、次の3点に尽きます。
1.初心者にやさしい設計で、パソコンに関してお金はいくらかかってもいいから苦労はしたくないという場合
2.ゲーム等、Windowsでしか動かないソフトを使う場合
3.世の人の多くがWindowsを使っているから、そうでないと困るという場合
私個人の場合、Windows7を入れていますが、1,3の理由には全く当てはまりません。C#どころかC++やJAVAのプログラムだって持ってくる人はいませんし(JAVAは少しぐらいいるか)、マクロ付きOfficeファイルなど、自分が仕事でつかって他の人に送ることこそあれど、他の人からいただくことはまずありません。ゲームを少々するためだけにWin7を入れていて、正直もったいないところです。
しかし、C#で普段プログラムを組んでいる人もいるでしょうから、そういう人にはWindowsが必要です。
正直なことを言うと、Windowsは肥大し、プログラミングやシステムいじりをしない人には親しみやすい一方で、システムいじりをする人には面倒なシステムになっていると思います。Windowsの目指す方向を考えればそうなっていて然るべきですが、1万円以上のお金をかけてそこまで欲しいか、というのが正直なところです。
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次回は3/9、副題「OSを変える/追加するとは」といたしまして、OSの基本的な部分について説明します。
夜の携帯メール
夜中に携帯をつけているか消しているか、あるいはマナーモードか。私は消すのが基本で、消していない日は無音・バイブなしのマナーモードなのですが。
先日、ある書籍を読んでいたときに「携帯電話の人も多いから夜にメールを送るのは気をつけよ」という文が目に止まりました。たしかに書いているようにしているのですが、ここで、ふと疑問に思ったことがあります。
「あれ、メールってそもそもいつ読まれてもいいようなものだから、別に夜に消していても失礼に当たらないし、逆に夜に消していなかったと言って相手に文句を言う道理もないのでは?」
まだEメールが普及を始めた頃は、現在よりもメールの形式がしっかりしていました。その為か、4年前からスマートフォンをつかっている私は、メールが長いと言ってよく責められます。事実、携帯にはパソコンのような形式ばったメールは長いのでしょう。
携帯電話になってから、宛先に知らない人を書いての同報送信(BCCを活用しない)や、絵文字をふんだんにつかったメールが出来てきたのだと思います。しかし、しかしです。
メールはすぐに受信してすぐに返信しなければならないものなのか。
メールはいつも受信をオンにしておくようなものなのか。
それなら、筆談の電話と全く同じではないか。
私はそう思うのです。
携帯電話は電話ができます。必ずできます。そうでなければ携帯電話とは言いませんから、当然の話です。であれば、相当に急ぐものであれば、そもそものEメール普及時代同様に電話にすべきだし、実際電話にしている人も少なからずいます。
私が古いのかもしれませんが、メールにそこまでの緊急性を伴ったものを期待することはないと思います。メールは「忙しかったらあとでも読める」という利点があるのに、緊急性はそれを失わせるからです。
夜にメールの着信をONにしておいて、それで起こされて文句を言うのであれば、マナーモードの設定を変えて、メールの着信音だけをなくすようにすればいいと思います(大抵の携帯にはそういう機能があるはずです)。夜にメールの着信音を鳴らして置かなければならないというのが、どうにも腑に落ちません。
先日、ある書籍を読んでいたときに「携帯電話の人も多いから夜にメールを送るのは気をつけよ」という文が目に止まりました。たしかに書いているようにしているのですが、ここで、ふと疑問に思ったことがあります。
「あれ、メールってそもそもいつ読まれてもいいようなものだから、別に夜に消していても失礼に当たらないし、逆に夜に消していなかったと言って相手に文句を言う道理もないのでは?」
まだEメールが普及を始めた頃は、現在よりもメールの形式がしっかりしていました。その為か、4年前からスマートフォンをつかっている私は、メールが長いと言ってよく責められます。事実、携帯にはパソコンのような形式ばったメールは長いのでしょう。
携帯電話になってから、宛先に知らない人を書いての同報送信(BCCを活用しない)や、絵文字をふんだんにつかったメールが出来てきたのだと思います。しかし、しかしです。
メールはすぐに受信してすぐに返信しなければならないものなのか。
メールはいつも受信をオンにしておくようなものなのか。
それなら、筆談の電話と全く同じではないか。
私はそう思うのです。
携帯電話は電話ができます。必ずできます。そうでなければ携帯電話とは言いませんから、当然の話です。であれば、相当に急ぐものであれば、そもそものEメール普及時代同様に電話にすべきだし、実際電話にしている人も少なからずいます。
私が古いのかもしれませんが、メールにそこまでの緊急性を伴ったものを期待することはないと思います。メールは「忙しかったらあとでも読める」という利点があるのに、緊急性はそれを失わせるからです。
夜にメールの着信をONにしておいて、それで起こされて文句を言うのであれば、マナーモードの設定を変えて、メールの着信音だけをなくすようにすればいいと思います(大抵の携帯にはそういう機能があるはずです)。夜にメールの着信音を鳴らして置かなければならないというのが、どうにも腑に落ちません。
2011年3月6日日曜日
理系大学生になる人へ 〜数学解析を読んでみよう〜
本日紹介するのはこちら
「数学解析」 溝畑茂著 朝倉書店刊
でございます。
以下、達哉ん(T)と後輩(A)の会話から…
T:一年間お疲れ様。数学が苦手だと言っていたけれど、どうやった?
A:まだまだ得意とはいい切れませんけど、困らない程度には出来ていると思いますよ。
T:それなら良かった。A君は確か私と同じで「数学解析」を買ったんやんな?難しくなかった?
A:そうですね、ずいぶん難しくて、通読も出来てないですけど、ノートなんかと一緒に使うとわかり易いですね。授業の副読本としてよかったです。
T:私も微分積分学の復習としてでなく副読本として買ったら良かったかなぁ…。
と、少し難しめの、しかし理論的に書かれた解析学の書籍として、私はこの本を推薦いたします。
「数学解析」 溝畑茂著 朝倉書店刊
でございます。
以下、達哉ん(T)と後輩(A)の会話から…
T:一年間お疲れ様。数学が苦手だと言っていたけれど、どうやった?
A:まだまだ得意とはいい切れませんけど、困らない程度には出来ていると思いますよ。
T:それなら良かった。A君は確か私と同じで「数学解析」を買ったんやんな?難しくなかった?
A:そうですね、ずいぶん難しくて、通読も出来てないですけど、ノートなんかと一緒に使うとわかり易いですね。授業の副読本としてよかったです。
T:私も微分積分学の復習としてでなく副読本として買ったら良かったかなぁ…。
と、少し難しめの、しかし理論的に書かれた解析学の書籍として、私はこの本を推薦いたします。
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