2014年2月5日水曜日

幸せを返す

最近は不運な出来事で踏んだり蹴ったり殴られたりです。電車/飛行機に乗る度に行きか帰りは時間単位で遅れが出るわ、注文したPCに部品を接続したら2回目以降電源が入らなくなるわ、色々と投げている連絡は直前まで返らないわ、私が一体何をしたのか、と言いたくなるような、そんな事ばかりです。イライラもつのり、周りにそれをぶつけてしまっていないか心配です。

しかし、そういう時期があれば、またもっと楽しい時期もあるのかな、と思っています。丁度、このあとは色々と楽しい出来事が予定されているので、そこが幸せが返ってくる時なのかな、と。こんなふうに「幸せ」というのは、返ってくるというか、自分が一時的に持っていてまた返してというような、そういう物なんだと、割と一般に考えられているように思います。


我々は、いろいろな恩恵を受けています。自然由来のもの、過去の偉人の発見などはもちろん、一般には'恩'でしょうが、隣人他からもいろいろなものをもらっています。その恩恵・恩を返すというのは、ある意味で"幸せを返す"という事なのかな、と思います。

ですが、幸せは直接返してもあまり意味がありません。物をもらったならなにか返せばいいのかもしれませんが、一般にもらえる無形の恩恵、隣人からであればそれは"心遣い"に集約されるのでしょうが、それを直接返すのは非常に難しいことではないでしょうか。特に、その"心遣い"が目上の人からのものであれば、なおのこと返しづらいものになります。

最近、自分は趣味の世界で比較的長い部類に入ってきました。そこで思うのが目上の人からもらった心遣い・幸せを返すという事。それは、直接目上の人に返すものではなく、趣味の世界全体や後進に返すものであり、そうして回って目上の人の利とすることです。自分自身が楽しんだこと、自分が受けた恩恵をまた後進に渡し、自分自身が趣味の世界で何らかをなすことで恩返しをすることが大切だと、最近はそう考えています。それは"継承"でもあります。

趣味の世界では比較的有名になったせいか、達哉んといえば"ああ"という反応が返ってくる時もあります。初対面の折に声に出さずとも、後から「あの有名な方か」という風に言われることもあります。そして、大抵の人に"優しい"とか"面倒見が良い"とか言われます。私は、それに資する行為をできているかどうかはわかりません。ですが、それに少しでも近い行為をして、恩返しをしていきたいと思うのです。そして、いつの日にか、私のことを優しいなどと評した後輩たちが、私の渡せた優しさぐらいのものでいいから、何か更に先の後輩たちに、つないでいってくれればいいな、と思います。

幸せを返す、そのひとつの手段は継承という事。自身が継承の担い手となれるように、また自身の継いだ先の人が継承できるように、活動を展開していきたいと考えています。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ひろのお部屋が復活しました

子育てが終わったそうで、創作を再開されたようです

達哉ん/Tatuyan さんのコメント...

>匿名の方
ありがとうございます。
先日より、ボクネコなど見ながら、楽しんでいますが、なかなか良い記事を書けず放置したままです。
自分の中で、応援できる良い記事がかけたら、その旨書こうと思います!