2013年11月24日日曜日

飲めない人一人

自分の同級生や、あるいは1~2年下の後輩の話などを聞いていても、お酒を普通に飲む年齢になったのだと感じます。友人と食事に行くときなども、自分と一緒に行くときは気を遣って頼まないこともありますが、お酒を嗜む人も少なからずいます。お酒と無縁な年齢だった頃からの知己・友人が、今では日常的に「晩酌」や「飲まなやってられん!」となっていて、自分ひとりだけ幼いまま取り残されたように感じることもしばしばです。


私自身、お酒で色々と苦労しましたので、今に至るまでお酒を飲もうという気にはなりません。いやな事があった日でも、「お酒を飲まないとやってられない!」と言う思考にいく事はなく、別の方法で鬱憤晴らしをしたり、そもそも耐えたりといった状態です。嫌な事が山ほどあったお酒、いいなと思えたことはありませんから、おそらくこれからも飲むことはないでしょう。ただ、その姿勢の中で感じるのは、孤独・疎外感なのです。飲み会などでは飲まない人は少数派ですから、あまり楽しい思いが出来ることはありません。テンションについていくので手一杯ということも少なくないからです。酔っ払った状態を知らない私が、他の人の酔っ払っている状態を推し量れるわけもなく、素面の状態で話し相手になったとしても、面白くないだろうと感じてしまいますし、自分自身もあまり気が乗りません。また、私の周囲にはいないようですが、素面である人を(特に二次会以後)嫌う人もいるようですから、どうにも難しいものがあります。そんな中では、やはり疎外感を抱かずにはいられません。

また、自分と同じぐらいの年の人や、自分より若い人がお酒を飲んでいるのを見ると、一人だけ成長していないような、そんな錯覚にとらわれます。過ごしてきた時間の分だけ年齢を重ねているのは同じことですが、そうと分かっていても、何か自分だけ取り残されたような、そんな孤独な感じがしてしまうのは、私だけでしょうか。お酒について悩んでいた数年前の不安は、ある意味で正しかったといえます。「自分だけ飲めない事で、嫌われるのではないか」・・・その不安は間違いと分かっても、「自分だけ飲めない事で、取り残されたように感じる」という、少し弱い形で、不安は的中してしまったのではないかと思うのです。

「飲み会は万能ではない。もちろん、元々の仲のよい集団であれば親睦を深めることになろうが、亀裂を生じさせたり、軋轢を深くしてしまうような、そんな効果も持っている。」と言うのを、ここ半年の間に1~2度目にしました。私のような存在が、後半のマイナスの効果の原因の一つではないか、と思うことがあります。あるいは、自分にとっての飲み会は、なかなかプラスに働きづらいという側面もあって、納得した覚えがあります。

私にとって、お酒を飲まないと言うのは、自分の信念だけではなく、もっと根本からの欲求です。それはある意味で、生存に関わる欲求にも似たところがあり、この欲求に嘘をつくようであれば、私はもう終わりだろうとさえ思います。しかし、この欲求を満たす限り、私は疎外感や孤独感とつきあわないといけない、というのだけが、ただ、気がかりです。いつか、少しでも解消されて、自分だけ取り残されたような、自分だけ成長していないような感覚ぐらいは、なくなってくれれば良いのですが・・・。

気の置けない友人や、同行の士は、皆気遣ってくれて、お酒中心の会となるのを経験したことはありません。しかし、そんな時でさえ感じてしまう、自分の「取り残された」感覚。それを克服する道は、まだ見つかっていません。

2 件のコメント:

Hiroki ITO さんのコメント...

久しぶり。
高校時代は将来ワインを嗜むとか言ってたから、てっきり君は普通に飲んでるもんだと思ってたけど、違うのだね。
この文書だとはっきり書いてないけど、まだアルコール飲料を飲んだことがないのかな?
僕は未だに一度たりとも飲んでない。
あまり会わないのでこんなことを言っても仕方ないかも知れないが、君ひとりだけではない。

達哉ん/Tatuyan さんのコメント...

>Ito様
コメントどうもです。
結局嗜むことにはならなさそうですね。飲まされたことはありますが、自分から進んで飲んだのはありません。
一人ではないというお言葉、大変嬉しいです。