2012年3月6日火曜日

地上の星へのプロローグ〜中島みゆきの歌詞の解釈(19)


中島みゆきは、自分の歌詞の解釈を聞き手に任せます。それは、私にとって嬉しいことであり、私もその精神に則って、自分なりの解釈をしていこうと思います。

解釈は人によっても異なりますが、時によって異なり、心によって異なり、状況によって異なるものであると思います。同じ曲を複数回出すこともあるかも知れませんが、それは状況や時が変えたということと考えてください。

何曜日更新とかわけわからなくなってきましたが、今回は、「瞬きもせず」です。歌詞はこちら(Single Ver.)。


映画「学校III」の主題歌であり、「地上の星」の1つ前のシングルです。

「瞬きひとつのあいだの一生 僕たちはみんな一瞬の星」 のっけから、「地上の星」「永久欠番」あたりを連想する歌詞です。ここにあげた2曲と、この「瞬きもせず」は、どれも同じ思想から生まれた曲ではないでしょうか。かけがえのない一人ひとりの人生を、その価値ある人生を、我々は誤って軽視してしまっていないか?そう問いかけているように感じます。

「あのささやかな人生を良くは言わぬ人もあるだろう あのささやかな人生をむだとなじる人もあるだろう」、価値を認めない人だっているけれど、「でも僕は誉める 君の知らぬ君についていくつでも」という人がいる、そのことが温かい。それを1番で言った後に、2番では温かさに気づくことを主張します。「触れようとされるだけで痛む人は火傷してるから 通りすぎる街の中でそんな人を見かけないか あのささやかな人生はもしかしたら僕に似ている あのささやかな人生はもしかしたら君だったのか 通りすぎる町の中でそんな人を見かけないか」、見かけないか、もう一度自分に問いかけることこそ、温かさのあることを確かめることだと思います。

一方で、メロの部分「ただ痛むだけの涙だけをもって生まれた 裸すぎる獣たちだ」というのは、サビの部分とどう関わっているのか、わかりづらい気もします。

涙を流すことしかできないような、「痛む」我々人間が、その痛みから解放されるためには、温かさが必要であるということ。その温かさは、瞬き一つのあいだの一生に真摯に向きあうことから生まれる、そういうことを言いたいんではないかと思っています。

痛む人間はお互いを求めあう。求めあうとはどういうことか。それは、ささやかな人生を誉めることが出来る温かさを持つということではないか。私は、この歌詞をそう読んでいます。

今ハマっている曲で、カラオケに行く機会があればぜひ歌おうと思っています。比較的アップテンポな曲であり、元気の出る曲です。そのささやかかもしれない人生を誉めることが出来る人間でありたいと思いますし、また、その温かさに気づける人間でありたいと思います。

人は人をもってしてはじめて人である。優しさは人を伴わねば憂いに変わる。そんな警句を口にしつつ、私は人に求められているのか、そして人を正しく求めているか、ずいぶん気になりました。

※ この解釈は、あくまで私の一解釈であり、正しい・誤りであるというのを書くものではありません。一つの見方として受け取っていただければ幸いです。



※ 扱って欲しい曲がありましたら、コメントでお書きください。



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