「あの震災」と聞けば、多分、1年前であれば、まだ阪神淡路大震災が出てくる人も各地にいたでしょう。しかし、現在、「あの震災」といえば、昨年3月11日の震災が出てくる人のほうが、余程多いのではないでしょうか。まだ1年も経っていないのですから、記憶にも鮮明なはず…。
それにも関わらず、私のように神戸に根をおろした人間にとっての震災は、どうしても阪神淡路なのです。昨年の東北よりも、17年前の阪神淡路のほうが、なぜか強烈なインパクトの記憶として残っているのです。勿論、住んでいる地域のために経験した震度が違うというのも大きく違うのでしょうが・・・。
1995年はボランティア元年と呼ばれました。そして昨年の震災の時には、「ボランティアに行きたい方は」のような案内がメディアでも流れました。神戸の経験した「あの震災」の記憶を忘れないこと。それに主眼を置かれた教育が、今でも神戸市では続けられています。「幸せ運ぼう」は本からDVDになったと聞きました。「しあわせ運べるように」のCDブックが出たのはこの前だったかと思います。1.17を風化させないよう、記憶を留めよう。その試みは、少なくとも昨年流れた幾つかのニュースを聞く限り、成功だったのではないかと思います。復興した神戸から、被災地東北へ…そう題されたニュースは、今神戸から遠く離れた地にいる自分にも多く届きました。
昨年の震災からまだ一年も経っていない。復興の道はまだ長く遠いものに見えるかもしれないし、かけがえのない「もの」を失ってしまった人も、決して少なくはないかもしれない。けれども、5年、10年とたった時、その記憶を留めながら笑い合えるようになってほしい…。神戸から遠く離れた地で、短時間ではあるけれど、追悼式典の中継に合わせて、私も祈っています。
忘れてはいけない1.17は、私にとっての節目でもあります。今一度、天災を考え、自分を省みたいと思います。
最後に、臼井真作詞・作曲「しあわせ運べるように」を、復興の歌として。「神戸」を「故郷」や「我が街」に替えて、口ずさんでみてください。
1.地震にも負けない 強い心をもって
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
支え合う心と明日への 希望を胸に
響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
2.地震にも負けない 強い絆をつくり
亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
やさしい春の光のような 未来を夢み
響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
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