中島みゆきは、自分の歌詞の解釈を聞き手に任せます。それは、私にとって嬉しいことであり、私もその精神に則って、自分なりの解釈をしていこうと思います。
解釈は人によっても異なりますが、時によって異なり、心によって異なり、状況によって異なるものであると思います。同じ曲を複数回出すこともあるかも知れませんが、それは状況や時が変えたということと考えてください。
今回は「忘れてはいけない」です。歌詞はこちら。
「極楽通りへいらっしゃい」「孤独の肖像」「ショウ・タイム」「肩に降る雨」と私の好きな歌が並ぶアルバム「Miss.M」のトラック7です。
忘れてはいけないこと、それは一体何なのか、答えは人によって違うと思うのです。
私の場合だと
・私を愛してくれる人びとの存在
・自分を助けてくれる人びとへの感謝
・自分が自分であるということ
の3つがあがります。ですが、これだけのことを書いた歌詞ではないと思います。もっと普遍的に、もっと広い視点で、もっと社会的に「忘れてはいけないことが必ずある」と言います。
「許さないと叫ぶ野良犬の声」は車の音の中、誰にも届かないだろう。
「認めないと叫ぶ少女の声」は、より強大な権力による所為に黙殺されるだろう。
大勢に対して、それと違う視点を見て、その意見を述べたとしても、無視されてしまうということ。この存在を、多数決の上に成り立つ我々は忘れてはいけないのだと思います。そのことが、2番でより強く言われます。
「泥だらけのクエッションマーク」は踏みにじられた疑問ではないでしょうか。そのような疑問は、「生ぬるい指でなだめられて」消されます。都合の良い言い訳で。
「争わないように嫌われないように歌う歌はキャンディソング」ならば、もう、大勢に逆らうことは出来ないし、大勢に疑問を持つことすら難しいでしょう。
忘れてはいけないこと、数多くある中で、メロを聴く限り、私には大勢に対して疑問を抱く存在を忘れてはいけないと思うのです。
そのような声は、この曲のかかれたときもそうだったのだろうし、今でもそうだけれど(【鷹の歌】などに読み取れます)、でも確実にあるのです。ただ、様々な大勢にかき消されるだけで。
多数ならばそれを押し通す。その時に無視される少数意見は、存在を忘れるべきでないものです。社会はそのことを忘れているのではないか、それを忘れてはいけないだろう、と警告しているように思っています。
※ この解釈は、あくまで私の一解釈であり、正しい・誤りであるというのを書くものではありません。一つの見方として受け取っていただければ幸いです。
※ 扱って欲しい曲がありましたら、コメントでお書きください。
※ 他の解釈が載っているサイト、もしくは自分なりの解釈がありましたら、コメントでお書きください。
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