毎年、暑くもない時期から暑中見舞いを準備して、梅雨明けをきくと出して、でも結局不十分なできでした。それなら寧ろ、出す人を減らして、出せる人の分をきちんと仕上げようと。その代わりと言っては何だが、出さない人にはメールなどで、と考えました。
その中で、短い暑中見舞いというのを考えました。はがきの一面に大きく書かれる短い文章に、万感を込めて送ることが出来ればと思うのです。
顔も覚えていないような人に、慌てて仕上げる暑中見舞いは却って不義理だと昨年暑中見舞いを出して以降思っていました。暑中見舞いは今や日本の伝統ではなく、一部の変わった趣味を持っている人が出すだけのようなものと認識されています。廃れていく文化、という言葉が悔しいけれどもぴったり来ます。その多忙中に時間を奪って読んでもらうのが、急いで書いた、形式に近いようなレベルの不出来な手紙というのはあまりに悪い。
だから、今年は暑中見舞いを多くは書きません。いつもよりも数を減らします。
暑中見舞いは、年賀状よりもずっと冒険できる。だから、「文章を書いて伝える」「言葉に出して伝える」ということの一つの冒険を、今年も展開したいと思います。昨年も一昨年も、決して冒険と言えるようなことはできなかったから…。
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