古本屋でワゴンセールをしており、その中に競馬術の本があったので読んでみました。
確かに、内容はもっともでした。その本のとおりやれば当たるだろうというのは予感しました。でも、正直に言って、私はその本は競馬の本ではないと、競馬を用いた金儲けの手段だと思いました。
著者は色々なことを書いていましたが、その内容の意図するところは「金儲けの手段としての競馬」です。私など、賭けはついで、自分の好きな馬がどうなるか見るほうが好きだ、という人間にとって、金儲けの手段としての競馬はあまり好ましいものではありません。正直、著者は競馬が嫌いなのだろうと感じるほどでした。それはその著者の意図するところと私のシコウとが違うところですから、しかたないところではありますが、けれども、競馬好きの人が書いた本ではありませんでした。競馬好きの人ではなく、競馬というギャンブルを用いてギャンブルに勝つ方法を書いた、あくまでギャンブルの本でした。
私は競馬が好きです。でも、競馬でお金を儲けるのが好きなのではありません。競馬というものが好きです。凱旋門賞も見ていました。「競馬でお金を儲けるのが好きな人」にとって、凱旋門賞はどうでもいいのでしょう。データ分析としてみるかもしれませんが、ナカヤマフェスタやヴィクトワールピサを応援するものではありません。中継である必要もありません。私はトルコ競馬のホームページから見ていました。
私は競馬が好きです。…そういう時に、賭けを想像する人もいるかも知れませんが、私は競馬が好きなのであって、馬券が好きなのではありません。サッカーが好きな人はtoto好きか、というと決してそんなことはないのと同じです。
サッカー好きが必ずしもtoto好きでないのと同様、競馬好きでも馬券好きかどうかは別問題だと感じました。私は競馬好きであり、馬券好きではないとその時思いました。勝つために馬券を買うのではなく、楽しむために、少額、馬券を買うのです。楽しむ競馬、スポーツとしての競馬です。それでいいではないか、と私は思います。
競馬術の本、内容はいちいちごもっともでしたが、正直私には口当たりの良くない本でした。
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