人間誰しも悪いところを指摘されることがあります。そのとき、その悪いことを認めるか認めないかで、その後の態度は大きく変わってくるのだと思います。
私は悪い点を指摘されることも多く、その悪い点については、言い訳をしながらも受け入れるようにと心がけています。自分が悪いと言われたときに、それは間違いないといえないようでは問題だと思うからです。指摘されることを受け入れるがゆえに悩んでしまうことも数多くありますが、それでも、おしゃべりだの白黒はっきりさせないといけないタイプだの突っ走るタイプだの色々言われていることは、どれも間違いないことだと思います。それをなおそうとして、そこに注意していろいろするのですが、三つ子の魂百までで、結局のところ、似たような場所を指摘されてしまいます。
ですが逆に、これらの悪い点の指摘を全く受け入れなかったとしたらどうでしょうか。その時は、もともと少ない信頼が、皆無になっていたに違いありません。私も悪い点を指摘することがありますが、それを受け入れずに反論だけしかしない人は信用する気になりません。言い訳をしてもひとまず自分の悪い点を受け入れようと、そう思うのです。
言い訳せずにすんなりと悪い点を受け入れるのは相当難しいと思います。だからこそ言い訳というのがあるのですが、自分が悪いとはっきり認められるときには言い訳をしながらも認めなければならない、と思います。逆に濡れ衣等を着せられた場合は、毅然として反論すべきだと思いますし、濡れ衣ぐらいで切れる絆ならば切ってしまえばいいと思います。
悪い点はとりあえず認めようと、言い訳してもいいから、ひとまず自分の悪いところを受け入れてみよう、とそう、自戒の念も込めて書いておきます。それが理由で眠れない夜を過ごしているのもまた「悪いところ」なのかもしれません。
3 件のコメント:
kammyです 悪い点を指摘されたときには素直に受け入れる事は他の人と生きて行くためには必要な事ですね ただ他の人の為というより 自分を振り返るために受け入れるといいと思います 指摘され理解することで 一つ成長するワケですね
たとえその指摘が理不尽であっても(その場合も結構多いと思います) 成長すると思います
悪い点はまた 長所でもあるので それらを自分から抹殺する必要はないでしょう(事実出来ないでしょうし) おしゃべりや 突っ走るや 白黒はっきり などは どれも素晴らしいことでもありますね
そういう性格をどこで出すか?でしょうね
多分TPOが間違っていただけの事ですね
だから性格を気にする必要など 全くないですよ
自分を表現する場所を考えるだけでいいんです
>kammy さん
いつもコメント有難うございます。
「性格を気にする必要など全くない」「自分を表現する場所を考えるだけでいい」、私には欠けている視点です。
性格に問題があるというのではなくて、性格を出す場所に問題がある、ということなのですね。確かに、おしゃべりというのは(少なくともここ数年は)殆ど長所として取られているようで、あまり指摘されることはありません。自分でまずいなぁと思ってしまう時はありますが。
長所も短所も人間の性格でそれを抹殺なんてできないから、それをどこで出すかを考えればいい、という考えは素敵だと思います。そして、そのどこで出すかに定まった解はなくて、間違えるのもまた人間の成長になるんだろうなと思います。
kammyです 僕もそう思います
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