2010年7月23日金曜日

スポーツ全盛の時代

現代のニュースは、様々な事件と、芸能関連の話、政治経済関連の話、スポーツの話の4本柱によって成立している、というのが私の意見です。政治経済は当然必要で、天気予報も必要ですが、事件や事故についての過剰報道、とりわけ、容疑者=犯人としてしまう報道は誤っていると思います。芸能関連の話は、要するに自分たちが雇用している人たちの自己紹介を執拗にしているだけで、私に言わせれば、ファンでも何でもない見も知らぬ人の結婚話など聞いても全く面白くありません。むしろ、仲良くしている友人が最近どんな調子かの方がよほど気になります。それでも、誰か「人」を出すとすれば芸能人を出すのが最も手っ取り早いわけで、この点は「時間つぶし」として許容できる範囲だと思います。

しかし、私が許せないのはスポーツの報道です。と言っても、スポーツの報道をするなというのではありません。
スポーツの祭典、オリンピックがあれば、各チャンネルはこぞって放映します。しかし、私の友人が国際数学オリンピックで4枚目のメダルを取ったとき、そのことを放映したテレビを、私は一つとして知りません。せいぜい、一部の新聞が端の方で少し書いただけです。Google Code Jamの日本人の結果がどうなどと言っているテレビはひとつも見ません。IOIやICPCなどの成績は、私のように競技プログラミングを愛好しているものが調べて知っているものであり、テレビで放映されることはありません。

どちらも規模は世界。ただ、内容が違うだけ。フェンシングと数学の勝負の母数がそれほど大きく違うとは思えません。なのに、前者は中継あり、後者は放映すらない。この状況は明らかにおかしいと思うのです。

もちろん、スポーツは誰もが理解できるという観点があって、テレビは視聴率を稼ぐための番組を放映さえすればいいのだから、数学オリンピックでたとえ日本人がどれだけ活躍しようと、それによって視聴率を取れないのあれば決して放映することはないでしょう。

それほどまでに現代の報道はスポーツにばかり偏っている。スポーツ自体の楽しさは否定しませんが、その報道のためだけに他の文化的・学術的成果を報道しないというのは誤りです。そんな基本的なことを否定する人はきっと少ないのでしょうが、もはや知らず知らずのうちに、「スポーツを必然」と思っているのであれば、なぜそうなのかを再び考えて欲しいと思うのです。

事件や事故は注意喚起に重要だろうし、社会情勢を知る報道は決してなくすべきではない。天気予報はなにより注意報や警報に注意せねば人命を失う恐れすらある。でも、芸能とスポーツにだけ偏った報道は、どう考えてもおかしい。私はそう思うのです。学術的なこと、それも学会に限らず、科学オリンピックなどの、日本人の活躍を、芸能以外の文化的な活躍を、少なくとも報道番組では取り上げるべきではないでしょうか。海開きの様子について15分も紹介するぐらいなら、5分ぐらい、国際数学オリンピックのメンバーを紹介したっていいではないですか。

テレビに限ったことではないのですが、テレビに関して特別強く感じたことなのでテレビを例に出しました。報道の在り方について色々書かれている文章を読みますが、こういう観点も、また特別な切り口ではないでしょうか。

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