パソコンでタイピングがある程度速くなってくると、よそ見をしながらも普通に打てるようになり(ブラインドタッチ)、私自身もよそ見をしながら(全然ホームポジションではないのに)打つことができます。よそ見しながら売っていて良くそれだけのスピードが出るなといわれることがありますが、なんとなく、打っている時に間違ったと思ったらそんな感触がしますので、その時だけ打った文字列を見るようにすれば基本的には打てるように思います。ですが、この「打ち損じた感覚」と言うのは一般的にはないようで、私がちょっと変わっているように言われることもあって、若干不思議に思っています。
基本的に、キーのタイピングは場所や打ち方によって感覚が違いますから、一般的に打つ指が決まっていればその感触も大体決まってきます。そうすると、本来あるべき感触と何となく違うように思えたとき、それが「打ち損じた感触」と言うものなのですが、それを感じ取れるのです。タイピングに習熟してくると指が感触を覚えていて、その感触によって打ち損じを判定することができるようになる、と言うのは割合一般的な話だと私は思っているのですが、まれなことなのでしょうか。
頭で文章を思い浮かべたら、後はそれをサーっと打っていって、変換するときだけ画面を見れば後は別のものでも十分とか、本を写すときには膝の上に本を開いてそれを見ながら(つまり下を向いて画面を見ずに)打てばそれでだいたい(OCRかけるよりも速く)打てるとか言うのが私の特徴です。ですが、それはやはり独特なようです。
打ち損じた感触というのは一般的なのか、一般的ではないのか。これがある私にはわかりませんが、ある一定以上の速さの人にそれがあるのか、一度聞いてみたいような気がします。私がこうしてBlogを打っている時のタイピングペースは概ね360type/min。自分では「クルージングモード」と呼んでいるモードで、打ち続けていても手が疲れることなく、また、思考を妨げることなく打ち続けられる最適な速度です。この速度でも間違った感触というのがあるのですから、それより遅くても普通にあるのではないだろうかという気がするのですが、どうなのでしょうか。
もちろん、大急ぎで打っているときはもっと速くて、測定ではAverageが420type/min、Maxが600type/min(と言っても瞬間的)です。こんな時には言うまでもなく打ち損じを感じますが、打ち損じを感じてからその修正に入るまでに数文字打ってしまっているのが常なので、反射的なものではないようです。
打ち損じの感触というのが一般に存在するのかどうか。存在するのであれば、タイピングを教えるときに楽になるように思うのは私だけでしょうか。
2 件のコメント:
打ち損じた、という感覚、私にもあります。自分自身はそんな風に思っていないのですが、よくまぁその早さで打てるね、というのはよく言われるところです。
ただ、弘法筆を選ばず、とは行かず、私はキーボードを選びます。いいのでないと打てないのです。
>つきみそう さん
コメントありがとうございます。返事が遅くなって申し訳ありません。
弘法筆を選ばずとはよく言われることですが、私はそれに対していつも「弘法は筆を選ばなくても綺麗に書けたかもしれないけれど、心地良く書けたとは誰も入っていない!」と返して、筆やキーボードを選ぶことにしています。ストロークがしっかりしているやつが好きなのです。
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