2016年も、もう少しで終わりですね。毎年、その年の終わりになると色々なことが思い出されるものですが、今年は、正直言って、あまり嬉しい年ではありませんでした。
嬉しい年でないといえ、別に嬉しいことが全く無かった年というわけではありません。出会いもいくつかありましたし、全く笑顔でなかったというわけでもありません。そういう意味では、日々下を向いていた、20歳の頃よりは、まだマシなのかもしれません。
それでも、今年は…どう控えめに見ても、私には嬉しいと思えぬ年でした。何より、今年にあった縁切りが非常に大きかったのです。自分の中で大きなウェイトを占めていた縁が切られ、狂おしく思う日も少なからずでした。他の様々なよろしくないことも合わさっていたというのもありましょう。5月以後ぐらいでしょうか、ふと気づくと、暗い自分というのが、以前より少々大きくなったように感じるようになりました。10月よりこちらは、鬱々とした思いにとらわれることも何度かありました。
周囲の人には、幸せな人も多くいます。進路が決まった、結婚した、良い成績をおさめた…そういう話を耳にするたびに、それを素敵なことだと喜ぶ自分がいて、比較した自分の情けなさを感じる自分がいます。皆うまくやってる、前に進んでいる。なのに自分は、むしろ後退しているようで、進めるだけのものも持たず、一人、迷い人のよう。自分はどうなるんだろう、自分は何になりたいんだろう、自分は如何に生きていきたいんだろう…答えが得られるはずのない問が益々重くのしかかってきました。
そんな暗い自分とは裏腹に、今年は落語を聞き・習い始めた年でした。心のアイソスタシーとでも申しましょうか、以前より明るい自分がはっきりとして、暗い自分もはっきりとしたように、そう感じました。霜月、落語を話し、帰って年賀状を書く。前の"陽"の自分と、後の"陰"の自分が、これほどはっきり意識されたのは今年がはじめてでした。普段私と出会っている人が見ている"陽"の自分の心を、"陰"の自分が静かに…しかし全力を以って込めた年賀状は、明日、皆様に届くことでしょう。それがひとりひとりの心に届いたのであれば、まだ救われるようにも思います。
ふと気づくと、辛かった年に始めた趣味は、紅茶もプログラミングも手紙も中島みゆきも、どれも長く深くハマっているから、この落語も長く深くなってゆく趣味でしょうか。今のところ大好きで、2017年はよリその世界を広めたいと思っていますから、それを軸に、今年より、良い年にしたいものです。
新年。冬来たりなば春遠からじの言葉の通り、寒い年の後の温かい年であることを祈ります。